15件の議事録が該当しました。
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該当会議一覧

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鳴門市議会 2009-02-23 02月23日-03号

間もなく国の予算が成立すれば、高速道本四連絡橋、各1,000円で通行可能になりますが、魅力がなければ幾ら通行料を安くしたところで、足を延ばしてきてくれるはずもなく、反対に京阪神方面へ流出するほうが主流となるでしょう。ここで今をチャンスととらえ、大規模な戦略を練って特産物土産物センターなどの大型の産地直売市などを設置するために行動を起こしてはどうでしょうか。 

鳴門市議会 1985-06-01 06月14日-02号

かつて鳴門市の市長はもとより徳島県民、又、兵庫県淡路島、島民よりあるいは兵庫県民あげてこの大鳴門橋架橋完成を祝うというような完成が六月八日にこれが行われたわけでございますが、これについては長く市長は二十六年間にただ一筋に本四連絡橋の早期完成あるいはその後には教育大学の開校というような二本の柱で市政にたずさわってこられたと思います。

鳴門市議会 1983-03-01 02月28日-02号

親政会代表 一、市長施政方針について 二、教育行政について             二十六番 梅野健寿君     〔二十六番 梅野健寿登壇〕 ◆二十六番(梅野健寿君) ただ今議長から登壇許可をいただきましたので、昭和五十八年第一回の定例会一般質問の第一陣を承りまして、親政会を代表して、まず第一点に本四連絡架橋に伴う問題、第二点に教育行政について、市長並関係理事者のご意向をお伺いするものであります

鳴門市議会 1980-09-01 09月24日-02号

「ほんまに才田黒崎桑島、その他市内全般にいえることじゃけんど、台風時期には毎回浸水する低地区住民の不安を取り除く抜本策を講ずる必要がありますな」私はその点について本四連絡高速道路予定地に十五米か二十米巾幹線水路を高架線に沿って才田目白谷から桑島通り小鳴門海狭に注ぎこむ人工運河のようなものをつくり、これへ才田黒崎桑島の各排水路を連結し、集約するようにしなければ駄目だと思っております。 

鳴門市議会 1980-03-01 03月10日-02号

三和会代表 一、一九八〇年代の重点施策について             四番 梅野健寿君     〔四番 梅野健寿登壇〕 ◆四番(梅野健寿君) ただいま議長より登壇許可をいただきましたので、第一回定例会一般質問第一陣を承り私は三和会を代表して、一九八〇年における市政重点施策の中から 第一点に本四連絡架橋問題、教育大学誘致促進について、 第二点に観光行政について 第三点に老人、児童の福祉行政について

鳴門市議会 1980-03-01 03月11日-03号

福祉事務所長 仲須 賢君登壇〕 ◎福祉事務所長仲須賢君) 五十四年度に身体障害者集会所を木津の中山予定をして予算を計上してございますが丁度その位置が本四連絡道路と関連して北の西隅予定しておりました場所本四連絡道路丁度接点になりますので場所を南側の方へ移転をするという事になりまして現在それの設計その他を建築課の方へお願いをしてございます。     

鳴門市議会 1978-09-01 09月26日-02号

これも申すまでもなしに本四連絡橋の完成に合わせて完成してもらうように私の方からも協力を申しあげていきたいと思っております。 なお、それから明神までの十一号線の改良につきましても引き続いて前に申しあげましたように、今これ道路の第八次五か年改定計画の中には取り組まれていないようでございますので、この中にはめていただくように今要請をしております。 

鳴門市議会 1977-06-01 06月17日-03号

しておりますのは中山インターから十一号線を経て徳島から四国縦貫道路に乗せる、こういう計画でございますが、その間に十一号線の高速にのることもございますので、一つの案といたしましては中山インターから板野の方に山ろくを通って直行して上板、脇町、池田に至る線も検討されておると聞いておりますが、これらにつきましては国の段階で決定されるものでございますので、そういうものもこの鳴門大橋完成すると同時にある程度進行をみて本四連絡道路

鳴門市議会 1975-03-01 03月03日-01号

また、市民の待望久しい本四連絡架橋着工も繰り延べせざるを得ない情勢となりました。鳴門ルート漁業補償また用地交渉関係市民の御理解のもとに、ほとんど全面解決を間近に控えた時に着工延期措置がとられたのでありますが、架橋後の経済効果から考え、また着工準備整備情況からみましても大鳴門架橋は近く着工されるものと確信いたすものであります。 

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